成果主義、その脆弱さと限界の構造
「成果主義」
脆弱さと限界の構造
日本で成果主義という言葉が使われるようになったのは1990年代でした。
それまでは年功序列、終身雇用が常識であり、戦後の高度経済成長の真っ只中にいた
経営者達が属人的なリーダーシップを発揮していました。
しかし、成長を過ぎた人は老い世代交代が始まります。そのような時期にリーダーシップの後に来るものとして捉えられたのが成果主義です。
成果主義は、実力本位で働ける環境を望む経営者や従業員に応える形で、はじまりました。功罪両方の面があるリーダーシップを発揮してきた日本の経営者が次世代に交代するタイミングで成果主義という働き方は導入されます。
当時、年功序列は合理性を欠く評価の仕方であり、仕事の内容に基づく評価の方が合理的で正しいという見方があったことは確かです。しかし、実際に導入してみると成果主義が企業にとっても、働く個々人にとっても合理的に機能しないことが、徐々に明らかになります。
評価基準は人がつくるので、属人的な要素を排除しきれません。また、成果や実力で評価されるということは、自分の持っているノウハウや情報を同僚や部下に共有しなかったり、隠すこと自身が評価につながる状況を生み出します。
すると、同じ職場で働く人同士が協力しなくなり、時には敵対的に振る舞うことすら起こります。評価基準は評価対象にとって共通であることで機能するので、個々人の事情や暮らしの背景といった要素は勘案されません。一見、平等なシステムに見えますが、協力関係を損ねてしまっては意味がありません。
“成果主義の本質は、評価基準による「管理」です。
管理される環境下で新しい思考、イノベーションは抑圧されがちになります。”
上図のように、部分的なチームワークは成立することもありますが、基本的に評価のために、個々人が孤立化するように仕向けられます。
成果も評価されなければ意味がないので、評価基準に含まれることだけに成果を求めるようになります。
結果的に、短期的に手っ取り早く評価される数値を向上させることに動機づけがされます。挑戦することが評価されなければ挑戦を行おうと思えなくなります。この状態が続くと、数年で評価されるという餌のことばかり考え、協力できない孤立した人々の集団が出来上がります。
こうした集団が新しいニーズや市場を創り出すことは極めて困難であり、終わりのない消耗状態、縮小再生産を続けることになります。
成果主義の本質は、評価基準による「管理」です。管理される環境下で新しい思考、イノベーションは抑圧されがちになります。そして、このような状況に、異論を唱えることができる人はほとんどいません。
なぜならば、異論を示すことは評価されないからです。人と人、従業員と経営陣とのコミュニケーションは表面的なものとなり「信頼/TRUST」の構築は遠く、組織という名のコミュニティは弱体化してゆきます。
ちなみに、プロフェッショナルが集まった小さなグループでは成果主義によるマネジメントも成立します。その理由は、プロフェッショナルという技能と職業倫理に基づく共通基盤が存在し、「信頼/TRUST」の共有も結果的に成立するからです。
また、「ティール組織」という考え方があり、書籍にもなっています。組織に属する個々人が自律的に行動できることで価値を生み出せる成熟状態を指してティールという色で表現していますが、この成熟状態は人を管理する環境からは生み出せません。
「リーダーシップ」も「成果主義」も組織やコミュニティ運営の仕組みとして不十分であるなら、どうすれば良いのでしょうか?
この閉塞状況を乗り越える鍵は「信頼/TRUST」構築にあります。